おもいで散歩【初打ち編】
どーも。たくやです。
みなさん楽しくスロってますか?
今日はちょっと趣向を変えて、僕の今までのスロライフの記憶を辿っていきたいと思います。
初回は【初打ち編】ということで、僕が初めてパチスロを打った時の話を書いていこうと思います。
だいたい歳ばれちゃいますね(*≧∀≦*)
まず最初に、僕は高校を中退しています。なので18歳になった時、学校へ行ってなかったので時間だけはあったので、すぐに車の免許を取りました。
免許を取った後、仕事を探す為に新聞のチラシに入っている求人広告を見ていると、ある1件のパチンコ屋さんのオープニングスタッフの募集がありました。
たしか、社員で25万以上と書いてあったと思います。
パチンコには全く興味はなかったんですが、給料の良さと、オープニングスタッフに惹かれて応募しました。
初出勤の時はまだオープン前で、椅子を拭いたり、ドル箱を拭いたりと準備作業をしていました。
18歳になったばかりなのでダントツの最年少でした。
そして、オープンを迎えます。最初の1週間くらいは、ほぼ稼働100%くらいの忙しさでした。特にCRギンギラパラダイスが出ていた記憶があります。
この時に初めて確率変動というものを知ります。
最年少という事もあり、店長や、本社の人、他の従業員の人たちから、よくかわいがってもらっていました。
特に、5つ年上のOくん(名前は伏せさせていただきます)によくしてもらっていました。
Oくんは以前もパチンコ屋さんで働いていて、彼女と同棲しているという、当時の僕はOくんの事を、お兄ちゃんの様に慕っていました。
働き出して3ヶ月ほどたった頃、Oくんはいつも近くにあるパチンコ屋さんでスロットを打っている、というのを聞きます。
そして、早番で終わった日に、そのパチンコ屋さんにOくんを探しに行きました。
特にパチンコを打ちに行った訳でもなく、スロットを打ちに行った訳でもありません。
Oくんがいれば、ご飯でも一緒に行こうかなと思い、そのパチンコ屋さんに着きました。
今思えば、その店はほとんど客もいなく、設定なんか入ってないような店でした。
店内に入ると、スロットのシマで2人ほど打っている人がいました。
1人はおじいさん、そしてもう1人がOくんでした。
Oくんの横に座り、打っているのをしばらく見ていると、Oくんが僕に「打たへんのか?」と聞いて来ます。
「打った事ないから」と答えると、「教えたるから打てや」と笑いながら言います。
まあ、Oくんが隣にいてるなら大丈夫やろう、とコインサンドに1000円札を投入します。
ここからが、現在に至るまでのスロライフのスタートでした。
そして記念すべき初打ち機種はこちら。
そうです。山佐の名機、ニューパルサーです。
言わずと知れたリーチ目マシンです。
ですが、当時の僕はリーチ目なんて、全く知りません。
自分の働いてる店にもニューパルサーはありましたが、そんなの気にした事もありませんでした。ただコインを補充していました(笑)
当時のニューパルサーはコイン投入口の左の方に、リーチ目が載っていました。ごくごく一部ですが。
その頃の僕は、そこに載ってある出目が出ないと絶対当たらない、と思っていました。
超ド素人ですね(笑)
色々なリーチ目があるという事をOくんに聞きながら打っていたのですが、なかなかリーチ目が出ません。
ちょっと怪しい目が出ると、いちいちOくんに確認していました。
そして投資5000円目、待望のリーチ目が降臨します。
たしか、右上がり7テンパイの右リール下段BARだったと思います。
Oくんもすかさず、「おう、それ入ってんで」と教えてくれ、何が入っているのか?と思いながら、7を狙いました。
見事7が揃い、BIGボーナススタートです。
ほどよい興奮状態でボーナスゲームを消化し、2度目のボーナスを目指しましたが、結局、コインは全部のまれてしまい、僕の初実践は5000円負けで終了しました。
Oくんは、勝っていたようで、その後、ご飯をおごってくれて、ご飯を食べながらニューパルサーの事や、スロットの仕組みの事などを教えてくれました。
僕の初めてのスロットの師匠ですね。
それから僕は、仕事でスロットのシマの担当になった時は、ニューパルサーの出目をガン見しながら仕事してました(笑)
ニューパルサーのリーチ目の半分は仕事中に覚えたと言っても過言ではないです。
でも、それから2回目の実践までは少し間が空きます。
リーチ目もだいぶ覚えて、1人で打ちに行っても全然いけそうでしたが、いこうとはしませんでした。
多分、スロットの楽しさをまだ知らないから、だったと思います。
初打ちの時に、1000円でも勝っていれば、もっと早くハマっていたかもしれません。
ただこの後、ニューパルサーより僕がハマる台と出会います。
その話はまた今度。
それでは。